【スイッチインタビュー】中村鴈治郎×吉沢亮

NHK―Eテレで「スイッチインタビュー 中村鴈治郎×吉沢亮」を観ました。映画「国宝」で主役の喜久雄を演じた吉沢亮と歌舞伎指導をした四代目中村鴈治郎の対談である。
吉沢は1年半、歌舞伎の稽古を重ねて撮影に臨んだ。使ったことのない筋肉を使う。真っ直ぐすり足するだけで精神的疲弊があったという。特に「姿勢」が基礎であり、全てじゃないか、と。鴈治郎いわく「ちょっと首が落ちるだけで老ける」と言っていたが、まさにそうなのだろう。
また、化粧についても「女形の顔」になれるか不安があったそうだが、実際に化粧を施して自分を見たら「ホッとした」そうだ。学生時代に学園祭でメイクをしたことがあったが、「そのときは不細工だった」、だから似合わなかったら歌舞伎が破綻すると責任を感じていたという。
「曾根崎心中」のお初の役がどれだけ内に入っているか、「腹ができているか」に注力した。声のトーンや間といった技術的な部分に稽古中は気が入っていたが、舞台で初めて「腹に入れる」ことを意識した。だが、心配はいらなかった。自然に涙が出た。名場面「死ぬる覚悟が聞きたい」は死ぬほど練習してきたが、舞台でその形を破って、内に落とすと、「この人(徳兵衛)と死ねる」と思えたそうだ。
喜久雄は部屋子だが、御曹司を差し置いてお初に抜擢される。喜久雄でありながら、お初を演じる難しさがあったという。お初を演じ切って、喜久雄に戻る瞬間の表情は何度も撮影を繰り返したそうだ。李相日監督から「お初ではなく、喜久雄で演じてくれ」と指導が入った。一旦学んだことを置いて、喜久雄の葛藤や手の震えという感情表現に気を配った。本当にこれで歌舞伎が成立しているのか、不安になったが、これによって物語は盛り上がりを見せる。それが「歌舞伎を映画で描く」意味なのだろう。
映画の中で田中珉が演じる伝説の女形が言う台詞が印象的である。「綺麗な顔だこと。役者になるんだったら邪魔ね。その顔に食われちまう」。吉沢は21歳で俳優でデビューし、その端正な顔立ちがファンを魅了した。いわゆるイケメンと言われることには嫌な思いはしなかったが、それ以上に「芝居を観てくれ」と20代前半では痛切に思っていたという。
李監督とは映画「怒り」のオーディションで初めて出会った。人間の内側のドロドロした部分を描く監督の作品に憧れを持った。「顔で売れたくない。実力で芝居がしたい」。自分自身の価値が周囲の評価に左右されなくなった。
喜久雄が師匠が亡くなったときの心情を一人で舞うことで表現する長回しのシーンが印象的だったと鴈治郎が言うと、吉沢はこう答えた。感情がいきすぎると、やりすぎになり、醒めてしまう。気がついたら好きなように舞っていた。美を意識していない。女形って何かを心の底から欲している役が多い。何かに惚れてしょうがない高揚が美しく見えるのではないか。色々な形でこじれて爆発している姿が切ないけれど、めちゃくちゃ歌舞伎が好きなんだな、と。その願望が美にしているのではないか。
茫然とした顔。無でありながら、無ではない。虚無を演じる、その芝居が楽しいという吉沢。客席がシーンとなる瞬間を体験すると、芝居をやめられなくなるという。2017年に「百鬼オペラ 羅生門」という舞台に出演したとき。10分縛られた状態で喋り続け、一曲歌って、腹を切って死ぬ。そのときに感じたことのない幸せを覚え、舞台をやる意味を見つけ、芝居が大好きになったきっかけだという。静寂の気持ち良さ。そこに音が聴こえているような気がする、と。
「国宝」は部屋子の喜久雄が血筋のあるライバルを抜いて、国宝にまで昇り詰めるという物語だ。歌舞伎の世界には「芸養子」というやり方はあるが、この映画の制作会見で音羽屋の娘である寺島しのぶが「実子を差し置いてというのは、本当の歌舞伎ではありえない」と発言していたが、そのタブーを映画の世界で描いたこともヒットの要因かもしれない。
鴈治郎は1990年に成駒家のお家芸である「曾根崎心中」で、父の坂田藤十郎(当時扇雀)が演じるお初の相手である徳兵衛を31歳で初めて演じた。当時は智太郎。名場面「死ぬる覚悟が聞きたい」とお初が言うときに、縁の下で心中の覚悟を身振りで伝える徳兵衛。鴈治郎は「悶々とする、ストレスが溜まる役」と言った。
吉沢は映画の中で徳兵衛も演じた。鴈治郎は徳兵衛の感情の流れを丁寧に説明して指導した。「死ぬる覚悟」をどうやって表せるか。お初の足首を喉笛に当てる。その徳兵衛の心情を吉沢に「腑に落ちる」ように説明した。「曾根崎心中」は江戸中期の心中事件を題材に一か月後に人形浄瑠璃文楽で上演された。文楽の女形の人形には足がない。しかし、「曾根崎心中」のために人形に足をわざわざ作ったのだった。それほどまでに重要な場面なのだ。
鴈治郎は1959年、坂田藤十郎と扇千景の間に生まれた。8歳で初舞台を踏んだが、遅いデビューだった。「歌舞伎は大人の世界」という家庭の方針の許、中学高校時代は歌舞伎をやることはなく、日本舞踊や三味線、鳴物などの習い事もしなかったという。それが、21歳のときに祖父が倒れて徳兵衛の役の代役にということになった。「曾根崎心中」は、昭和28年に祖父二代目鴈治郎が徳兵衛、父藤十郎(当時扇雀)がお初を演じ、大ヒットとなった。以来、成駒家の芸である。
いきなり白羽の矢が立った鴈治郎は「言葉は出ない、なまる、動きもままならない」。祖父のビデオを見て研究するも、それは猿真似で、観客には滑稽に映った。父には愛想を尽かされた。以来、父は相手役に他の役者を選んだ。
転機は2001年。「曾根崎心中」をイギリスで公演しようという話が持ち上がった。それまでの歌舞伎の海外公演は様式美、着物、大道具、所作で魅せるものが中心だった。台詞劇は難しい、ましてや心中モノはキリスト教の社会では受け入れられるのかと不安があった。しかし、先に蜷川幸雄演出の「曾根崎心中物語」がイギリス公演をおこない、成功を収めた。それで勢いがついて、鴈治郎が徳兵衛に抜擢された「曾根崎心中」はイギリスで大盛況だった。
ドラマとしての歌舞伎が認められ、同時に鴈治郎が演じる徳兵衛も高い評価を得た。以来、徳兵衛という役が「腑に落ちる」ようになったという。親父にも認められたかなと思ったそうだ。
吉沢が言う。「一般の映画やドラマなどで役者を勤めるということと、歌舞伎で役者を勤めることは圧倒的に違う。そこには何百年受け継いできた芸を継承するという重み、覚悟がある」。すると、鴈治郎がこう返した。「所詮できることは自分ができることしかない。先人と較べても仕方がない。自分で落としどころを見つけて演じるしかない」。
さらに鴈治郎が続ける。「映画は映像として残る。だが、自分が演じる役は消えてなくなる。記録映像はあるかもしれないが、歌舞伎は一期一会の世界。父は1400回、お初を演じた。でも、『常に新鮮』と言っていた」。これを受けて、吉沢は「その瞬間でしか観られない、エモーショナルなものが歌舞伎にはあるのですね」。同感である。

