映画「TOKYOタクシー」、そして柳家喬太郎独演会「文七元結」

映画「TOKYOタクシー」を観ました。山田洋次監督。

個人タクシーの運転手、宇佐美浩二に木村拓哉。乗客のマダム、高野すみれに倍賞千恵子。高齢のために独り暮らしができなくなり、終の住処として高齢者施設への入居を決めたすみれ。終活を済ませた自宅のある葛飾柴又から施設のある葉山まで宇佐美の運転するタクシーで移動する。折角だからと、思い出の地に寄り道してもらいながら走ってもらっているうちに、すみれは自分の波瀾万丈な人生を宇佐美に語り、いつしか二人は年の離れた恋人のように心を許して、素敵な一日を過ごす心に沁みる物語だ。

すみれは東京大空襲で父を亡くし、母が小さな喫茶店を切り盛りしながら、女手ひとつで育ててもらった。初恋の人は在日朝鮮人二世のキム。だが、朝鮮戦争後の北朝鮮祖国再建のために、キムは北朝鮮に行ってしまう。すみれのお腹の中には男の子が宿っていた。勇と名付けた。

すみれは小川という男と再婚したが、連れ子の勇を「私生児」呼ばわりして、邪魔者扱いする。そればかりか、すみれの知らないところで、虐待していた。今で言うDVだ。すみれは小川を憎み、睡眠薬を飲ませて寝入った小川の局部に煮えたぎる油をかけた。復讐だ。殺人未遂に問われ、実刑9年。60年前。ウーマンリブは叫ばれ始めてはいたが、女性につらい社会だった。

刑期中に勇をバイク事故で失ってしまう。失望したすみれは何度も死のうと悩んだという。刑期が終了し、美容院で働いたすみれはアメリカのジョイナー選手のネイルに衝撃を受け、単身渡米し、ネイルアートを学んだ。そして、帰国してネイルアーティストの先駆けとして成功を収めたのだった。

僕が宇佐美だったら、やっぱりこの85歳のすみれを愛おしく思うだろう。葉山の手前の横浜のレストランで食事をしようと提案したときの、すみれの嬉しそうな顔が忘れられない。レストランを出たところで、すみれは「腕を組んでもいいかしら」と甘えた。心が通じ合った、このシーンで涙が出た。

葉山の施設に到着したとき、すみれは「素敵だったきょうを終わらせたくない」と駄々をこねた。その気持ちも痛いほど胸に響いた。そして、すみれは宇佐美宛てに手紙を書く。

「タクシーの旅は幸せな一日だった。運転手さんは私を優しく受け止めてくれた」。そして、すみれは感謝の気持ちをこめて、宇佐美に最高のプレゼントを贈った。再び涙を禁じ得ず、エンドロールまでボロボロと泣いてしまった。

柳家喬太郎独演会に行きました。「時そば」と「文七元結」の二席。ゲストは三遊亭伊織さんで「片棒」、開口一番は柳亭市遼さんで「まんじゅう怖い」だった。

「文七元結」。本所達磨横丁の左官の長兵衛が博奕に溺れ、娘のお久が行方不明になった。女房としては気が気でないというのがよく伝わってくる。それもお久は自分が産んだ子ではなく、先のおかみさんの娘だからこそ、なおさら愛おしいという胸中に感じ入る。

佐野槌の女将が長兵衛に対し、皆お久ちゃんから聞いた、暮れの押し迫ったときに泣かしちゃこまるじゃないかと詰問するのは、長兵衛にとって針の莚だろう。博奕に溺れ、借金の山を作り、酒を飲んで、女房を打ったり蹴ったりする。「血の繋がっていない母だから余計切ない」と語るお久の健気さ。「私で良ければ買ってください。そして、そのお金を渡して小言を言ってください」。なんとよく出来た娘であろうか。

五十両は女将からではなく、お久から長兵衛に渡させる。「おっかさんに優しくしてあげて。お酒は飲まないで、博奕もやめて。生意気言ってごめんなさい」。長兵衛はただ「生意気だ、馬鹿野郎」と不本意なことを言うしかない。心の奥底では「お久、すまない。必ず迎えに来る。辛抱してくれ」と思っている。父親としての照れがそこにあるのが良いと僕は思う。

吾妻橋の文七の身投げを止めるところの長兵衛の台詞も良い。「生きることは悪いことばかりじゃない。世間は鬼ばかりじゃない」。さらに「死んで五十両出ればいいが、出るわけじゃない。旦那に理由(わけ)を話して少しずつ返せばいい」と理詰めで説得する長兵衛は「命の大切さ」を判っているように思えた。

それでも死んで詫びると頑なな文七に対し、「五十両あれば、死なずに済むのか…死なないんだな?」と言いながら、長兵衛が右手を懐に入れて逡巡するところが印象的だ。そして、意を決して「わかった!お前にやる!持って行け!なきゃあ死ぬと言うからやるんだ」と、五十両の入った財布を渡そうする長兵衛は江戸っ子気質というより、人間としての慈愛に満ちているようだ。

そして、付け加える。野暮だが話す。俺が博奕で借金を拵え、娘が五十両に化けた。一年あれば何とか返せる。だが、百両となったら無理だ。だが、娘は死ぬわけじゃない。だから、やるんだ。俺だってやりたくない。でも、もしここにお久がいたら、「私はいいから、やってください」と言うに違いない。

そう言って、五十両を文七に投げつけて去って行く。翌日、「あの五十両は置き忘れたものでした」と主人の近江屋卯兵衛が文七を連れて達磨横丁を訪ねたときの長兵衛の言葉が良い。「良かったじゃねえか。昨日死んでいたら、犬死にだぞ」。この優しさを持つ長兵衛の家族に幸あれと思った高座だった。